日本メディアはとかく一方向に振れるクセがある。例えば中国人に関して。7~8年ほど前までは、平気で行列に割り込むシーンなどを繰り返し報じ「マナーの悪い国民」として取り上げるのが常だった。ところが最近は爆買いを象徴するように、日本の消費を担う「救世主」、さらには観光も買い物もコト消費志向に変わりつつある「ツウな観光客」といった具合に変わっている。
中国人がガラリと変わったわけではない。メディアの報道の仕方、言い換えれば「どこに焦点を当てるか」を変えたことで、受け手である国民も知らず知らずのうちに中国人に対するイメージを変えつつあるといえるだろう。
メディアには日々膨大な情報が入ってくる。当然そのすべてを報じることは不可能であり、またその必要もなく、例えば新聞記者なら知り得た情報の10分の1しか記事にしないといわれる。つまり、無数の情報から「何を選び」「どのように報じるか」によってニュースの〝在り様〟は変わってくる。
大相撲の女性差別問題、芸能人の不倫報道、政治家や官僚が起こしたとされる様々な疑義――。それらはニュースのほんの一部に過ぎないが、集中的かつ多面的に報道されることで、まるでそれこそが重大ニュースのように映る。端的にいえば、事実の重要性・緊急性・普遍性といった指標は関係なく、メディアが報じる事実、取り上げたテーマがすなわちニュースとなる。これを「メディアの議題設定機能」と呼ぶ。
ネットが普及して情報の選択肢が増えたとはいえ、すべての事実を知ることは不可能である。むしろ、溢れる情報のなかから「何を選び」、メディアの議題設定に踊らされることなく「自分ならどう捉えるか」「コトの本質はどこにあるか」という冷静な態度がより重要になってくる。なぜなら、事実はいつも我々の身近なところに転がっているのだから。
やや古いニュースだが、配送業者の「過酷な労働実態」が話題になったことを覚えているだろうか。アマゾンをはじめとするネット通販の急速な台頭により、配送員はお昼を取ることすらままならず、荷物の受け取り時間を指定したのに消費者が不在という「再配達のムダ」も課題に挙げられた。メディアの議題設定により「配送員がかわいそう」「我々消費者にも問題がある」といった風潮が生まれた。
この風潮もまた焦点の当て方次第という点を忘れてはならない。
配送問題が取り上げられるずっと前から気になっていることが1つある。それが〝配送員の暴走車両〟という問題だ。むしろこちらの方こそ議題設定にすべきテーマではないかと思う。
安全な配送員、危険な配送員
ボクは東京の江東区に住んでいる。近年のマンションラッシュにより住民が急増している地域でもある。当然ながら配送員を目にする機会は多く、とりわけここ数年、うちのマンションだけでも常に周囲を5~6人の配送員が走り回っているような状況だ。しかも全員が同じ会社の制服だから嫌でも目につく。我が家はけっこうなネット通販利用者で、この5~6人が入れ替わりで頻繁に我が家にやってくるわけで、すっかり顔も覚えてしまった。
多くの配送員はきちんとしている。マンション内ですれ違っても会釈し、エレベーターが混んでいれば住民に譲り、街中で会っても気軽にこんにちはと声をかけてくる青年もおり、社員教育が行き届いているのだろう。
ただ、なかにはひどい者もいる。エレベーターにむりやり割り込んでくるわ、巨大な荷物をマンションの共用通路に放置し、車椅子の住民が通れないことも。まるで「俺ら配送員は忙しいんだ!」と言わんばかりの傍若無人ぶりなのだ。
それはマンション内にとどまらず街中でも見かけるのだが、もはやマナーというより安全性の観点から看過できないシーンも少なくない。それが暴走車両だ。
都内の場合、ほとんどの配達は大きなカゴを荷台の後ろにつけた自転車で行われている。全長は2メートル、カゴの幅も1メートルほどあり、自転車というよりはちょっとしたクルマだ。重量も相当あるに違いない。配送ラッシュが目立ちはじめた数年前から、このデカい図体がガタガタと轟音を響かせつつ歩道を猛スピードで走り回るようになり、ただ、企業サイドは黙認しているのか一向にやむ気配はなく、危険といったらこの上ない。
イヌの散歩をしている真横をスレスレで駆け抜けていく。杖をついた老人の目の前を猛然と横切る。よほど忙しいのだろう、オニの形相でぶつぶつ独り言を呟きながら駆け回るさまは少々異様だ……。イヌの低い視点からすれば、巨大トラックか重厚な戦車が自分のそばを毎日駆け抜けていくようなもの。
明らかに法律違反だろう。近年問題になっている自転車による人身事故。つい先日も札幌の「ひき逃げ事件」が相次いで報道されるにつけ、そのうち配送業者も似たような事件を引き起こすに違いない。そうなってからでは手遅れだというのに。
制服だってマーケティング
仮に事件にならずとも、暴走車両が企業イメージを見えないところで棄損していることに変わりはない。〝企業の制服を着て働く〟ということは、すなわち1人ひとりが広告塔の役割も果たしており、良い行いも悪い振る舞いも消費者は日々目にし、それが記憶の底に溜まっていき、ブランディングを構成するひとつの要素となる。
マーケティングとは「いかに売るか」というすべての経済活動を指す。それは大きなことから小さなことまで、企業が決めた通りにきっちりコントロールしなければならない。親切なイメージならどこまでも親切に、オシャレな企業は常にオシャレに、ということだ。「店舗」「web」「サービス」など、どこか一部でもコントロールを失えばたちまちマーケティングは崩壊するわけで、もちろんそこには「社員」も含まれる。
マーケティングというと、広告やイベントやサービスの充実など「積極的な活動」に注力しがちだが、配送業者の暴走車両のように、じつは街中での振る舞い、何気ない言動など制服を着た従業員による「無意識の活動」も忘れてはならない。
以前、社員教育のマニュアル作成に携わったことがある。「Aをすべし」「Bをやろう」など〝すべきこと〟は割と簡単に決まるのに対し、「Dはやめよう」「Eは注意しよう」といった〝すべきでないこと〟を絞るのに苦労した。問題が顕在化してはじめて気づくことが多く、また、誰もが理解できるよう明文化するのが難しいためだ。
小売り・銀行・ホテルなど制服を利用する企業は多い。膨大な従業員すべての行動をコントロールするのは難しく、正社員・派遣・アルバイトなど複雑化した職場ではなおさらだ。だが、ニュースが一方向にブレやすい現代だからこそ、誰にいつ見られても恥ずかしくない企業スタンス、いわば「制服マーケティング」の巧拙がますます問われるのだろう。
◆Yahoo!ニュースなど多くのメディアに転載された2018年以前のブログは↓
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