CDが売れない代わりにライブ市場が盛り上がっている――。近年そんな消費トレンドをよく耳にする。ボクも昔から大の音楽好き、特に海外ロックに関してはかなりの熱狂的ファンである。レッチリ、ガンズといった伝説の大物バンドはもちろん、今ではメジャーとなったオフスプ、ゼブラヘッドといったバンドも20年ほど前のデビュー当時から追っかけている。
一口にロックといっても「ハードロック」「ヘビメタ」「デスメタル」「グランジ」「オルタナ」など多様なジャンルがあり、なかでもボクは暴力的なライブと過激なファッションを特徴とする「パンクロック」にハマっている。
聞き始めたのは1990年代初頭。パンクは日本ではまだ馴染みの薄いジャンルであり、そして今もロック好き以外はほぼ聞いたことがない音楽である。
そんなわけで、たいていのパンクバンドは初来日のデビュー当時から知名度はゼロに等しく、ライブをやるにしてもとにかく箱(=ライブ会場)が小さい。場所は繁華街の路地裏の地下、小学校の体育館の半分にも満たない小さな会場というのがお決まりだった。
さて、パンクを聴くような輩というのはその音楽性と同じく少々デンジャラスな人が多いため、ライブ会場も特殊な雰囲気に包まれている。首から腕にびっしりタトゥーをキメた欧米人。目つきが尋常でなく鋭い少年。ケンカ腰で周囲を睨みつける大男。暴れるぞとばかりに指を鳴らす男――
そんな面々がライブの開演前から酒をガンガンにあおり、意味もなく奇声を発していたりするわけで、初めて薄暗く小さなライブ会場に足を踏み入れたとき、思わず「北斗の拳」に出てくる世紀末の酒場に放り込まれたような恐怖と衝撃を味わった。完全なる異世界だった。
そして、ライブが始まるとさらに凄まじい世界が待っていた。
ほぼ暴動のパンクライブ
ただでさえ息苦しく、熱気とタバコの白い煙が漂う会場。そこにバンドが登場するやいなや数百人が一斉に前方のステージめがけて押し寄せ、激しい音楽に合わせて拳をふりあげ、ジャンプし、シャウトしはじめ、どの男の目つきも完全にイッテおり、ふと顔に冷たいものが降ってきたので天井を見上げると、ビールやらタバコやらが空中を飛び交っていた。
「ここで死ぬのか…。ヤバすぎる、逃げよう…」
だが、そんな隙間は1ミリもない。音楽に合わせて群衆はジャンプし、会場が揺れ、そのたびに身体ごと潰されそうになるわ脇からパンチが飛んでくるわで、どうにかそんな状況に耐えていると、ふいに木製バットで殴られたような鈍い衝撃が頭部に走った。何が起きたのか咄嗟には分からない。
数秒ほどして顔の前に突如現れた〝モノ〟でその正体を悟った。
巨大なスニーカーだった。
180センチはあろうかという大男が群衆にダイブし、人間の頭の上を転がってきたのだ。彼はボクの頭を無造作に蹴とばすと、何やらわめきながら再び群衆の上をステージめがけてゴロゴロと転がっていった。
もはや窒息寸前だった。でも、それはまだ序の口に過ぎなかった。ライブが進むにつれて客はどんどんヒートアップしめちゃくちゃに暴れまくるのだが、そこにはパンクならではの〝独特の流儀〟があった。
例えば「モッシュ」。ライブが始まりしばらくすると、会場の前方にいる数十人がいきなり乱闘を始めた。ただ、それはケンカでなく客同士が身体をぶつけあっているらしく、それがパンクライブの1つの流儀だった。身体のぶつけ合いとはいえ酒と音楽で完全にハイになった男たち。彼らは次第にエスカレートしていき、やがて飛び蹴り、つかみ合い、殴り合いなどが始まり、ほとんど暴動のような騒ぎとなった。
「サークル」と呼ばれる流儀にも度肝を抜かれた。とある曲をきっかけに突然、数十人が一斉にグルグルと回りはじめ人間の〝輪〟をつくったのだ。最初はワケが分からず一緒に紛れてしまったが、その輪は超危険なもので、けっこうなスピードで走る輪に向かって周囲から男たちが次々と暴れながら飛び込んでくるのだからたまったものでない。一方、輪のなかは蹴り、エルボー、ひっつかみなどが平然と行われる無法地帯と化しており、慌てて輪から脱出した。
客の熱狂ぶりを見たバンドは嬉しそうにギターを鳴らし、ステージ上で酒をあおり「もっと暴れろ」「さあ叫べ」と客を煽る始末――。
ライブも中盤を過ぎた頃、群衆のなかからは腹を押さえた負傷者、酸欠状態で息も絶え絶えの若者、片足だけスニーカーを失った者といった〝落伍者〟がフラフラと現れては、どこかへと消えていった。
まだネットがない時代である。パンクライブの凄まじさをまったく知らずに臨んだボクはいまだあの日の記憶が忘れられず、もう二度と行くまいと誓った。
あれから20年――。
おかしなことにすっかりパンクの世界にハマってしまい、数え切れないくらい薄暗いライブ会場に通った。40代半ばとなった今も開演前には酒を飲んでウォーミングアップし、いざ始まれば若者に紛れてジャンプし、シャウトしている。暴動のようなライブもパンク独特の流儀も、慣れてしまえばこれほど楽しいものはない。もはや武道館だのドームだのといった着席型のコンサートではまったく刺激が得られなくなってしまった。
さて、つい先日そんなロックバンドが集結するフェスがあった。ゼブラのほかニューメタル界の超大御所コーン、リンプ、レイジの新バンドなど、パンク好きロック好きにはたまらない豪華なラインナップに血が騒いだ。会場は今やフェスではお馴染みとなった幕張メッセ。
ところが、意気込んでいざ会場へ行くと、そこにはこれまでの「ロック」からは想像もつかない不思議な光景が待っていた。
ロックにオタダンス?
「ちょっと何あれ……何だかオタダンスっぽくない?」
最初に異変に気づいたのは奥さんの方だった。彼女もかなりのパンクマニアでいつも一緒にライブへ行くのだ。彼女が指さす方を見ると、巨大なメッセ会場の後方には確かにロックのライブにはにつかわしくない不思議なダンスをしている青年がいた。
顔はひたすら地面を向き、背中を丸めて必死に両手を回しながら身体を左右に揺らし、足は独特のリズムでその場でステップを踏むというか、ジタバタしているようにしか見えず、どことなく阿波踊りのようにも見えた。
ロックのジャンルによっても、あるいはバンドによっても観客のノリは一様ではない。ヘビメタは激しく頭を上下に振るヘッドバンキングが一般的だし、パンクは基本ずっとジャンプしているし、ラップロックは身体全体を上下に揺するが、いずれにせよロックは基本〝タテノリ〟である。目の前にいる彼のダンスは、演歌でヘッドバンキングしているような違和感を覚えた。
彼だけでなく周囲にも似たようなダンスの若者がチラホラおり、ステージ上では知らない日本人のバンドが演奏していた。客はそれなりにいるから若者には人気のようだ。ボクは首をひねりながら奥さんに尋ねた。
「日本のロックバンドを聴く若者って、みんなこんなダンスをするものなのか?」
「さあ……何だか宗教みたいね」
「まあ、パンクのライブだって傍から見れば狂信的な宗教みたいなもんだろ」
「それもそうネ。普通の日本人が見たら絶対にヒクもんね」
しばらくすると、さらに奇妙なことが起こった。パンクでお馴染みの「サークル」が始まったのだが、それがいかも平和なものだった。若者たちはにこやかな笑顔で、スキップをするかのごとく軽やかに輪になって回りはじめた。輪のなかでは飛び蹴りもエルボーもなくじつに安心安全な様子で、やはり爽やかに笑っている。
さらに驚愕したのは、輪を描いて回る若者は、外で見ている見知らぬ客と次々とハイタッチをしながら楽しそうに回りはじめた。まるで大学生仲間のレクリエーションか、遊園地のメリーゴーラウンドを見ているかのようなのどかな光景だった。
「これがロック? いまどきの若者は……」
そんな冷ややかな視線、戸惑いの眼差しが周囲の客からも注がれていた。激しいライブに慣れた〝王道ロックファン〟からすれば邪道もいいところ。
ボクも1分ほど呆気にとられた。あまりの違いように愕然とした。草食系男子、ゆとり世代、反抗期のない友達親子――。考えるまでもなく昨今のさまざまな若者事情が頭のなかをめぐった。
でも、と気を取り直した。これも日本の若者のロックの楽しみ方の1つ。好き嫌いはさておき、事実は事実として受け止めねばならない。むしろ、初めて見る光景に「なぜ彼らは平和なロックを好むのだろう」といった疑問が沸いてきた。
いまどきの若者は――。この言葉、この偏見こそマーケッターが抱いてはいけない感情。「なぜ」を突き詰めていかないといけない。
「コト消費がブームです!」という奴を信用しない
CDが売れなくなりライブ市場が伸びている――。それは事実にしても、これをもって「コト消費の時代だからライブ人気が盛り上がっている」と結論づけるのは早急というもの。
最近やたらコト消費を口にする企業、経営者、マーケッターが増えている。メディアの報道の仕方にも問題はあるが、モノ消費でなければコト消費になるのは当然であり、重要なのはブームの表面をなぞるのでなく「なぜ人々は体験型の消費を求めているのか」を探ることだろう。実際にライブ会場へ足を運べば、そんな理由の一端を垣間見れるものだ。
1)若者がライブへ行く理由は「友達との一体感」
ボクを含めた中高年、あるいは王道ロックのファンはステージにいる「アーティストとの一体感」を求めてライブへ行く。もちろん独特の雰囲気、迫力の大音量など決してCDでは味わえない非日常体験にも惹かれる。アーティストをじかに見られればいいので、独りでライブにくる「お独り様タイプ」も少なくない。
それに引き換え若者は20代の女友達同士、20代男性の三人組、30代前半の女性グループなど「友達参加タイプ」が圧倒的に多数派だ。友達と一緒にジャンプする。友達と一緒にシャウトする。友達と一緒に汗を流す。友達と笑い合う――。そこにある心理はいかに? それはアーティストとの一体感というより「友達との一体感」という方が正確だろう。
友達と共有する時間こそ若者のコト消費、ライブへ行く理由。だからこそスキップ&ハイタッチという平和なサークルも生まれたのだろう。意外なことに、写真を撮ってSNSにあげたり仲良く記念撮影をしたりする若者は少なく、その辺りからも「今という時間」を楽しんでいる様が窺える。
2)オトコもお揃いで楽しむ「モノ消費」
電車のなかでもオフィス街でも、ついファッションチェックをする仕事のクセがある。ファッションを見るだけでライフスタイル、職業、性格などが分かることも多いためだ。2本のライブを終えて床に座り込みビールを飲んでいると、ふと異様に「バンズのスニーカー」が多いのに気づき、暇つぶしがてら数万人いるライブ会場で若者の足元を観察することにした。
ざっと1500人ほどのスニーカーをチェックしたところ、じつに面白いトレンドが浮かんだ。比率にするとバンズ5割、ナイキ1.4割、アディダス1.2割――。街中では圧倒的な人気を誇りビジネスマンも愛用するニューバランスを履いていたのはわずか1人しかいなかった。音楽好きの若者とバンズの相性は抜群にいいらしい。
また、上記で述べた「友達との一体感」とも関連するのだが、女友達同士のみならず男同士でも〝お揃いのバンズ〟というケースが目立った。当日に偶然カブったわけでなくライブに合わせて一緒に購入したようで、全身のコーディネートまで合わせている男性グループもいた。
つまり「ライブ=コト消費」と思われるなかには、じつは「モノ消費」もしっかり含まれているわけで、こんな事実を知るだけでもファッション企業、飲料メーカー、音楽業界の人間ならマーケティングに活かせるに違いない。むしろ、こうした些細な事実こそ消費のリアル、売れる販促企画のヒントにもなる。
飛べよ、遊べよマーケッター
先日とんでもなくおかしな話を聞いた。
「ウチの商品が売れないのは携帯代が高いせいもありますよ」
某カジュアル衣料大手の経営者の話だ。あたかもモノが売れないのはコト消費のせい――。そんな言い分だが、ライバルのユニクロやゾゾタウンは好調なのだから、彼の敗因分析がまったく見当違いなのは明らかだ。
「これからはコト消費の時代なので体験型のサービスや売り場を増やしました」
改装するたびに同じフレーズをさも誇らしげに繰り返す百貨店やスーパーの経営者が後を絶たない。きっとそんな助言をする専門家が少なくないのだろうが、流行っている現象を追うことなら誰でもできる。そうでなく現象を分析し、隠れた消費者心理を読み解き、さらにはそれを販促や営業や商品開発といったマーケティングに落とし込む――。これこそ経営者なりマーケッターの正しい役割だ。
いくらデータを分析してもリサーチにこだわっても消費者のリアルに近づけるわけではない。生活のなかにこそヒントは隠されており、ただ、それは探せば見つかる類のものでもない。興味のある世界も興味のない世界も、飛び込んで初めて分かることがあり、遊んでいるうちにマーケティングの材料を見つけることもある。
飛んだり遊んだりするのもマーケッターの大切な仕事。
そんなわけで、ボクはいつもパンクライブで誰よりも高く飛び、酒を飲み、遊んでいる。
◆Yahoo!ニュースなど多くのメディアに転載された2018年以前のブログは↓
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